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 はじめに

 1962
 1963 前半
 1963 後半
 1964 前半
 1964 後半
 1965 前半
 1965 後半
 1966 前半
 1966 後半
 1967 前半
 1967 後半
 1968 前半
 1968 後半
 1969 前半
 1969 後半
 1970

 おわりに


 1月〜12月
ジョン3rdソロシングル「INSTANT KARMA! / WHO HAS SEEN THE WIND 」発売 (2/6)
シングル「LET IT BE/ YOU KNOW MY NAME」発売 (3/6)
リンゴ初ソロアルバム『SENTIMENTAL JOURNEY』発売 (3/27)
ポール初ソロアルバム『McCARTNEY』発売 (4/17)
アルバム『LET IT BE』発売 (5/18)
リンゴ2ndソロアルバム『BEAUCOUPS OF BLUES』発売 (9/25)
ジョージ1st.ソロシングル「MY SWEET LOAD」(米)発売 (11/23)
ジョージ3rdソロアルバム『ALL THINGS MUST PASS』(米)発売(11/27)
ジョン4thソロアルバム『JOHN LENNON(ジョンの魂)』発売 (12/11)

 それぞれの道へ

 1970年は、ビートルズとしての活動は行われていなかった。

 ジョンは、この年以前すでにソロ・アルバムやシングルを発表していたが、'70年には固定メンバーはジョンとヨーコだけで後のメンバーは流動的なバンドプラスティック・オノ・バンドのクレジットで『JOHN LENNON(ジョンの魂)』を発売した。個人的には、このアルバムこそが、ジョンの正式なソロ開始アルバムというような気もする。

 ビートルズでなかなか楽曲発表のチャンスを与えられなったジョージは、11月23日にソロ・シングル「MY SWEET LOAD」を、11月27日には、それまでに温めていた曲を、3枚組みのアルバム『ALL THINGS MUST PASS』に集めてアメリカで先行発売し、いずれもアメリカ『ビルボード』紙で1位の座に輝き(シングル4週、アルバム7週)、一気にそれまでの鬱憤を晴らすかのような活躍を見せた。
 イギリスでもアルバム、シングル共にチャート1位に輝き(シングル7週、アルバム8週)と、もちろんジョージは大活躍。
 ジョンは『ラジオのスイッチを入れれば必ずと言っていいほどジョージの曲だ...』とため息混じりに語ったと言うエピソードも残っている(^^;。
 ビートルズの解散時に、もっともその才能が高く評価されたのはジョージだったとも言える。

リンゴ リンゴは、スタンダード・ナンバーを集めた1st.ソロ・アルバム『SENTIMENTAL JOURNEY』を発売。その半年後には、リンゴの大好きなカントリー&ウエスタンのアルバム『BEAUCOUPS OF BLUES』を発売する。
 映画活動だけではなく、リンゴは音楽面でも積極的に取り組んでいく。

 メンバー内で最後までソロ活動を行わなかったポールも、リンゴを意識した訳ではないと思うが...リンゴのアルバpaulム発売から1ヵ月後の4月17日、ついに1st.ソロ・アルバム『McCARTNEY』を発売する。
 ポールの初ソロアルバムは、演奏・歌・プロデュースのすべてをポール1人で行ったもので...いわゆるポールの1人多重録音作品である。
 かなり荒削りな仕上がりのアルバムであり...米チャート1位は獲得したものの...ポール初のソロ・アルバムの評価は散々なものであった。

 その後のポールは、妻リンダと共にWINGSを結成し世界的なトップ・バンドへと再び返り咲くこととなるのである。


 マネージャー問題

アラン・クレインと ビートルズの解散の理由については、「ポールのワンマンぶり」とか「ヨーコの出現」...等々、いろいろなことが言われているが、傾きかけていたビートルズの会社「アップル」建て直しの為のマネージャー起用が大きな引き金となったとも言える。

 ジョン、ジョージ、リンゴの3人は、アップル建て直しの為の新ビジネス・マネージャーはアラン・クレインとする契約書にサインをした。
 しかしポールはクレインの新任に反対し、妻リンダの父イーストマンを推薦した。

 アラン・クレインは、ローリング・ストーンズの元マネージャーで、なにかと問題の多いマネージャーであった。。。それはストーンズ時代からも明らかであったが、財政を立て直すのに定評のあるやり手で、孤児であるというクラインの生い立ちに、ジョンが思い入れて起用したとも言われている。

 「僕たちはポールのサイド・マンであることに飽き飽きしていた。。エプスタインの死後そういう状態になった。」(ジョン)

 エプスタインの死後、ビートルズを引っ張っていこうとしていたポールへの不満が、メンバーにあったのは確かなことだ。。。新マネージャーまでもポールの希望通りに...そしてポールの親戚が就任することに、他のメンバーが同意する訳はなかった。
 結局...新マネージャーにはアラン・クレインが就任することとなる。

 後に、ポールの判断の方が正しかったと証明されるのであるが...このときの争いはバンド内部のの、「ポール 対 ジョン、ジョージ、リンゴ」の亀裂を決定的なものにしてしまった。


 ポール脱退宣言!

BEATLES バンドとしての活動は行っていなかったとはいえ..書類契約上では、ビートルズはりっぱに存在していた。

 そんな1970年、「ポール、ビートルズを脱退!」のニュースが4月10日付けの『デイリー・ミラー』紙のトップ記事を飾った。同日イギリス中の新聞が「ビートルズ解散」をトップ・ニュースに揚げた。

 これは、ポールの初ソロ・アルバム『McCARTNEY』の試聴盤とともに、「ビートルズはすでに解散している」ことを示唆した自問自答のプレス・キットをマスコミに配布したためである。
 いままで、噂ではささやかれ続けていた「ビートルズの解散」が、この日公然化されたのである。
 このポールの行動は、新マネージャーのアラン・クレインに対するポールの不満が相当のものであったことを物語っている。


 Dream is Over

beatles 1970年12月31日、ポールはロンドン高等裁判所にビートルズ解散とアップルの共同経営関係の解消を求める裁判を起こした。
 訴えられたのはジョン、ジョージ、リンゴの3人とアップル。
 ポールにとってはアラン・クレインと縁を切るための最後の手段だった。

 1971年3月12日、ポールの「解散要求」が認められ...他の3人は上告を断念する。

 皮肉なことに...
 もっともビートルズを大切にし愛していたポール自身が、ビートルズに終止符を打つことになってしまったのである。

 1960年代を、嵐の中へと巻き込んだビートルズは消えた。。。

 ジョンは言った...Dream is over」(夢は終わった)と。


    


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