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 はじめに

 1962
 1963 前半
 1963 後半
 1964 前半
 1964 後半
 1965 前半
 1965 後半
 1966 前半
 1966 後半
 1967 前半
 1967 後半
 1968 前半
 1968 後半
 1969 前半
 1969 後半
 1970

 おわりに


 8月〜12月
アルバム『ABBEY ROAD』を発売 (9/26)
ジョン2ndソロシングル「COLD TURKEY/京子ちゃん心配しないで」発売 (10/24)
シングル「SOMETHING / COME TOGETHER」発売 (10/31)
ジョン3rdソロアルバム『WEDDING ALUBUM』発売 (11/7)
ジョン4thソロアルバム『平和の祈りをこめて〜』発売 (12/12)

 ジョンの『Love & Peace』の平和活動

ベッドイン ジョンとヨーコは「Love& Peace」(愛と平和)の活動を、結婚後それ以前に増し次々と積極的に展開していった。
 しかし、ジョンとヨーコの二人で行った平和活動は、あまりにも形式にとらわれていない奇異なものであった。
 ベットに入ったまま、さまざまなゲストを呼び、平和について語る「ベッド・イン」。大きな袋に入って平和を訴える「バッグ・イン」。各国首脳に平和の種「ドングリの種」を植えさせる「ドングリ・イベント」等々...

 またロンドン、パリ、ニューヨーク、東京などの世界主要都市に「WAR IS OVER ! if you want it」(戦争は終わる。人々がそれを本当に望むなら)のポスターを街じゅうに貼りまくり平和を訴えた。
war is over
 また、'69年11月26日には、イギリスのナイジェリアへの干渉に抗議し、'65年にイギリスから授与されたMBE勲章を返却した。

 「ヨーコと僕は、平和の為になら喜んで世間のピエロになる。僕らはいわゆる有名人ってやつなので、おかしなことをやれば、それをマスコミが次々と印刷して世界の人々に伝えてくれるんだ。だから平和!平和!って叫んでやるんだ」

。。。一連の奇異な平和活動を、ジョンはそのように説明した。

 ジョンのねらいは、みごとに成功し...マスコミは連日ジョンの平和活動をとりあげた。ジョンの『Love & Peace』の主張は、次第に世間に理解され始めることとなったのである。

 ジョンは、ビートルズのジョンから平和主義者のジョンへと...確実に変わっていった。


 ポール死亡説

 リンダと結婚したポールは、ジョンの平和活動とは対照的に、家に閉じこもっていることが多かった。 
 そのことも影響したのかもだが、'69年9月23日付けのイリノイ大学の学生新聞『ノーザン・スター』紙に以下の様な記事が掲載された。
ポール死亡スタイル(^^;



 『ポールは1967年1月に自動車事故で死んでおり、現在いるポールは良く似た別人である』




 この記事に端を発し、いわゆる「ポール死亡説」が語られるようになった。
 ポール死亡説の根拠として、以下の事が言われた。。。


 アルバム『Abbey Road』のジャケットに関して...
  ●路上に駐車している白い車のナンバー・プレートは『28IF』。これは「If 28」(もしポールが生き
   ていれば28歳)だという意味である。
  ●アビー・ロードを横断する4人は葬式の行列である。
    (ジョンは牧師、リンゴは葬儀屋、 ポールは死人、ジョージは墓を堀る人)
  ●左ききのポールが右手にタバコを持っているのはおかしい。
  ●ポールだけが裸足だが、裸足は死人を意味する。


 『ABBEY ROAD』のジャケット写真以外にも...
  ●「Strawberry fields Forever」のエンディングで、ジョンが"I buried Paul"(私はポールを埋葬
   した)と言っている。
  ●「Yesterday」と「Hey Jude」のポールの声を電気的に分析してみると別人のものである。
  ●アルバム『SGT.PEPPERS〜』のジャケットはポールの葬式。花で作られたギターは左ききの
   ポールのものである。
  ●TV映画『MAGICAL MYSTERY TOUR』での「YOUR MOTHER SHOULD KNOW」での場面で
   ポールだけが黒いバラを胸にさしている。


黒バラのポール…等々、さまざまな話がささやかれた。’69年9月下旬には「さよならポール」という追悼曲まで現れてしまった。

 この騒動は、『ライフ』紙の特派員記者が、スコットランドの農場で休暇を取っていたポールに会見してやっとおさまった。

 この騒動は、あきらかに何ものかが仕掛けたものであるが...もしも、ビートルズ自身が仕掛けていたものだったのであれば...2年以上もの長い年月をかけた地道で壮大な計画であると言える(^^;
 いずれにせよ、「ポール死亡説」の仕掛け人の真相はいまだに謎に包まれている。


    


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