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 INDEX

 はじめに

 1962
 1963 前半
 1963 後半
 1964 前半
 1964 後半
 1965 前半
 1965 後半
 1966 前半
 1966 後半
 1967 前半
 1967 後半
 1968 前半
 1968 後半
 1969 前半
 1969 後半
 1970

 おわりに


 1月〜7月
アルバム『YELLOW SUBMARINE』発売 (1/17)
シングル「GET BACK / DON'T LET ME DOWN」発売 (4/11)
ジョン2ndソロアルバムUnfinished Music No.2:Life With The Lions』発売 (5/9)
ジョージ2ndソロアルバム『ELECTRONIC SOUND(電子音楽の世界)』発売 (5/9)
シングルTHE BALLAD OF JOHN AND YOKO / OLD BROWN SHOE発売 (5/30)
ジョン1stソロシングル「GIVE PEACE A CHANCE / REMEMBER LOVE」発売 (7/4)

 LET IT BE

studio 1969年1月2日、アルバム『LET IT BE』のレコーディングおよびレコーディングのドキュメント・フィルム(映画「LET IT BE」)撮影の為に、久々にビートルズ4人はスタジオに集合した。
 しかし、メンバー間の亀裂は、この時期最悪で...映像にも如実にその雰囲気は撮影されることとなった。

 ポールは、このやるせないバンドの状況を、「GET BACK」では、元いた場所に戻ろうと...「LET IT BE」では、あるがままにいこう、答えは見つかるはずさと...「THE LONG AND WINDING ROAD」では、バンド内部での孤立感を、切々と自身の歌に込めて歌い上げている。。。この時期、もっともビートルズを大切に思い愛していたのは、まぎれもなくポールであった。

 前作『THE BEATLES (WHITE ALBUM)』のレコーディングでは、バラバラだった4人。。。
 昔のように戻ろう...と決め、レコーディングに一切のオーバー・ダビングを行わない(いわゆる一発録音)。。。という考えの下にセッションは続けられたが、そのことがかえってバラバラだったメンバー間の心の緊張を作り出してしまい、もはや修復不可能な状態にまで陥ってしまったとも考えられる。
映画でも見られるポールとジョージの口論は、バンドとしてはまさに最悪の状況である。

roof top 1月30日には、アップル・ビルの屋上で何の予告もなく突如ビートルズは人前での演奏を行った。いわゆる、伝説の42分間「ルーフ・トップ・セッション」である。
 この日はとっても寒い日で...ジョンが着ている茶色の毛皮のコートは、あまりの寒さの為、ジョンがヨーコから借りたものである(^^;
 本当に2年半もライブ活動を休止していたのか?と思わせるほど彼らの演奏は息も合ってピッタリで素晴らしかった。
 ロンドンの街を歩く人々は皆足を止め演奏に聴き入った(ちゃんと聴こえていたかどうかはわからないが(^^;?)り、彼らの姿を見ようと近くのビルに登ったり…一時ビル周辺は大混雑となってしまう。
 人々は、ライブ活動を中止していたビートルズが、「再びライブ活動を始めたのか?」という錯覚にもおちいったが...実際には映画の撮影の為の演奏で、結果的にこの1969年1月30日が、ビートルズが人前で演奏した最後の日となってしまった。


 最後のレコーディング

abbey  『LET IT BE』は、当初は『GET BACKプロジェクト』として、バンド活動の再開を考えて行われたのであったが、ビートルズは、そのプロジェクトをほとんど投げてしまっていた。

 レコーディング・セッションから1ヶ月以上も過ぎた3月初めに、ジョンとポールは、エンジニアのグリン・ジョーンズをアビー・ロードスタジオに呼び出し、山積みにされた8トラックのテープを渡し「アルバムを作ろうというあの計画を覚えているかい? テープはこれだ。あとは頼んだよ。」と、それっきりであった。

 7月には、もはやメンバー全員がバンドの最後を感じており、「最後に素晴らしいアルバムを作ろう」と再び4人集まったが、結果的には、あるメンバーが録音したものに、後から他のメンバーがコーラスを付けたりギターを重ねたりなど、ばらばらでのレコーディングが多かった。
 しかし、バンド内の雰囲気は、「ゲット・バック・セッション」の時ほど険悪でなく、穏やかな雰囲気だったことが多かったと言われている。

 『ABBEY ROAD』A面に収録されてる曲は、すでに「ゲット・バック・セッション」でもリハーサルされていたが、B面のメドレーを本格的に意識して作り始めたのは、この7月に入ってからのことである。

 ビートルズが、アルバム・タイトルを「ABBEY ROAD」と付けたことにより、ビートルズがその大半の曲をレコーディングしたスタジオは世界中に知れわたり、スタジオおよびスタジオ前の横断歩道は、現在では観光名所とまでなってしまっている。
 ちなみに、このスタジオは、それまでは単に『EMIスタジオ』と呼ばれていたのであるが、このビートルズのアルバムとの関連から『アビー・ロード・スタジオ』と1970年代に改名されたのである(^^;

beatles 発売は、『LET IT BE』よりも早まったが、『ABBEY ROAD』こそが、ビートルズがレコーディングした最後のアルバムである。
 『ABBEY ROAD』は、『LET IT BE』のような悲壮感はまったく感じられず、『SGT.PEPPERS〜』と並ぶほどのアルバム完成度の高さである。いや...バンドとしてのビートルズという観点から言えば、それ以上のアルバムと言えるであろう。
 なぜなら 『SGT.PEPPERS〜』は、言うなれば真のバンド・サウンドではないのに対し、『ABBEY ROAD』は、ビートルズの真の姿であるバンドとしてのサウンドで作られているあるからである。
 楽曲の完成度の高さは言うまでもなく...善し悪しは関係ないが、7年前のデビュー・アルバム『PLEASE PLASE ME』と比べてみても、バンドの歌唱力や演奏力の上達は、目を見張るほどのものである。
 ビートルズは、彼ら自身最高のバンド演奏を世界中に聴かせ、その活動に幕を閉じたと言える。


 離れていくビートルたち...

john&yoko 1969年3月12日に、最後の独身者であったポールがリンダと結婚し、その約1週間後の3月20日に、ジョンはヨーコと再婚する。
 ジョージはますます東洋文化にのめりこみ、リンゴは映画との世界へチャレンジしていった。paul&linda

 ジョンやジョージは、ビートルズとは別に自身のソロアルバム等を、1969年には、次々と発表している。

 この時期のメンバーは、すでにビートルズという枠からはずれ、おのおのの目的が別々のものとなってきていたのである。

 ジョンに関して言えることは、それまで続いていたポールとのパートナー関係にピリオドを打ち、新たな音楽活動のパートナーを、ヨーコへと変えたのだ...といえる。


    


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