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 はじめに

 1962
 1963 前半
 1963 後半
 1964 前半
 1964 後半
 1965 前半
 1965 後半
 1966 前半
 1966 後半
 1967 前半
 1967 後半
 1968 前半
 1968 後半
 1969 前半
 1969 後半
 1970

 おわりに


 7月〜12月
シングル「HEY JUDE / REVOLUTION」発売 (8/30)
ジョージ初のソロアルバム『WONDERWALL(不思議の壁)』発売 (11/1)
ジョン初のソロアルバム『Unfinished Music No.1:Two Virgins』発売 (11/29)
アルバム『THE BEATLES (WHITE ALUBM)』発売 (11/22)

 初のアニメーション映画

イエロー・サブマリン ビートルズ初のアニメーション映画『Yellow Submarine』が、1968年7月17日、ロンドン・パビリオンでプレミア公開された。
 アニメの声は「本物のビートルズが吹き替えを担当しているのか?」と思わせるほど、そっくりの声の声優さんが担当している。
 当初ビートルズは、このアニメーション映画の話に「まったく無関心だった」と言われているが、その出来上がりの良さに4人は大満足だった。
 
 アニメは興行的にも大成功を収めたが、サウンド・トラックでもあるアルバム『Yellow Submarine』の発売は、映画公開から半年後の1969年1月17日となる。
 これは、メンバーがアルバム『The Beatles (White Album)』の発売の方を優先させていたことや、ジョージ・マーティンが、レコードB面に収録の、オーケストラの再録音を希望していたことなど...、さまざまな理由が重なった為である。

 ジョンとヨーコの息子ショーンが、後の1979年、4歳のクリスマスの日に友達の家で偶然この映画を見て...『パパはビートルズだったの?』とジョンに質問したのは有名な話である(^^)
 ジョンは、息子ショーンのこの言葉で、5年間におよんだ「音楽活動停止」...いわゆる主夫業、子育てに専念した「愛の沈黙」を破り、音楽活動を再開することになる。
 。。。しかし。。。その後。。。悲しい結末が待っているのであるが。。。


 ジョンとヨーコ

ジョンとヨーコ このころのジョンは、ヨーコとの関係を公然化し、ヨーコと共にさまざまな音楽活動・芸術活動や平和運動を行っている。

 平和運動としては、6月15日に平和のシンボルとして、イギリスのコベントリー大聖堂の庭に二粒のドングリの実を並べて植える「ドングリ・イベント」。この平和のシンボルであるドングリは、各国の指導者に送られる。

 12月18日には、人種差別や偏見に反対するため、大きな白い袋に入り、肌の色などの外見で人間を判断することの無意味さを訴える「バック・イン」を初めて行った。後の記者会見等でもこの「バック・イン」は行われたりした。

two virgins 音楽活動としては、11月29日に初のジョンのソロと言うか、ジョンとヨーコの初アルバム『Unfinished Music No.1:Two Virgins』俗にいう(Two Virgins)を発表する
 アルバムは、サウンド・エフェクトをコラージュした前衛音楽であり、録音は'68年5月19日に、ジョンの自宅で行なわれた。
 ジャケットはジョンとヨーコのオールヌードの写真であり、マスコミからは、こぞって悪評を得た。(日本ではジャケットは隠されて発売された)
 他のメンバーや、ビートルズのスタッフにとっても、前衛的な音楽、オール・ヌードのジャケット等...、ジョンのソロ・デビューは、かなりの衝撃を巻き起こした。

 ジョンはこの時期、長く縛られた「ビートルズ」からの脱却を図っていたと思われる。。。これは、マネージャーのブライアン・エプスタイン亡き後、徐々にビートルズの主導権を握り始めていたポールの存在が大きいのかもしれない。
 
 芸術活動として、7月1日にジョンとヨーコのアート展『You are Here』をロンドンで開催している。 ジョンにとって、はじめてのアート展となった。

 ジョンは、この年の11月8日に、前夫人のシンシアとの離婚を成立させている。


 アップルからの初のビートルズ・シングル「HEY JUDE」

HEY JUDE ジョンとシンシアの間に生まれた子供ジュリアンは、二人の離婚問題にひどく悲しんでいた。
 悲しみに暮れていたジュリアンを励ますためにポールが作った曲が、今もなお広い世代に聴き・歌い継がれているビートルズの代表曲の一つ「Hey Jude」である。
 「Hey Jude / Revolution」は、アップル・レーコードからの第1弾シングルとして8月30日に発売され、ビルボードのシングル・チャートで連続9週1位の大ヒットとなった。
 しかし、ジョンは、より政治メッセージ色の強い「Revolution」の方をA面にしたいと考えていた。


 4人バラバラの音楽制作。。。ホワイト・アルバム

ホワイト・アルバム アップル・レコードの第1弾アルバムとなる『The Beatles (White Album)』は、11月22日に発売される。
 バンド名をアルバム・タイトルにするほどであったが、このアルバムの製作の頃は、とにかくメンバー4人の仲はバラバラであった。。。

 ジョンは、前記のとおり、ヨーコとの関係をますます深めて、いろいろな平和運動、芸術活動、ヨーコとの音楽活動に熱を入れていた。

 ポールは、恋人ジェーン・アッシャーとの婚約を解消し、後に奥さんとなるアメリカ人カメラマンのリンダ・イーストマンとの親交をより深めていた。。。また、アップル専属歌手のメリー・ポプキンのプロデュースの方にも、積極的にチカラを注ぎ込んでいた。

 ジョージは、よりインドに没頭していき、映画音楽『WONDERWALL(不思議の壁)』(ジョージ初のソロ・アルバム)の製作に取り組んでいたり、シタールの師匠のラヴィ・シャンカールの自伝的映画『ラガー』の製作にも関わっている。

 リンゴにいたっては...8月22日から9月3日までの間、一時的ではあるがビートルズから脱退している。。。これは、ポールが、リンゴのドラムを手厳しく批判し、ついには「自分がドラムをやる」と言ったために、温厚なリンゴがついにキレてしまい、スタジオから無言でそのまま去っていったという。。。アルバム1曲目の「Back in The U.S.S.R.」は、リンゴでなくポールがドラムを叩いている。
 
 それまでずっと、ビートルズと共にレコーディングに参加していた、プロデューサーのジョージ・マーティンも『このころからビートルズのレコーディングにかかりっきりになることはなくなった』と語っている。

 『エプスタインが死んだあと、ポールが主導権を握り、僕らをリードしたと言うけれど、結局は堂々めぐりだった。そのとき僕らは解体したんだ。』(ジョンの回想)

 4人は、それぞれ自分の新しい道を見つけ。。。それぞれの道を独走し続けていくのである。。。


    


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