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 INDEX

 はじめに

 1962
 1963 前半
 1963 後半
 1964 前半
 1964 後半
 1965 前半
 1965 後半
 1966 前半
 1966 後半
 1967 前半
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 1968 前半
 1968 後半
 1969 前半
 1969 後半
 1970

 おわりに


 1月〜6月
・シングル「LADY MADONNNA / THE INNER LIGHT」発売 (3/15)

 インドでの生活

インド '68年に入ると、ビートルズはインド文化への傾斜がいっそう強まっていった。

 2月になると、ビートルズの4人は、それぞれの夫人や恋人を連れて、マハリシの元で直接メディテーション修行を受けるため、インドへ行き滞在した。

 ジョン夫妻とジョージ夫妻は2月16日にインドへ、ポールと当時の婚約者のジェーン、リンゴ夫妻は2月19日にジョンとジョージに合流する。


 音楽以外の目的で4人が外国へ行ったことや、ファンやマスコミとの接触を断った静かな生活を送ったこと。。。これだけでもビートルズにとってインド行きは画期的な出来事であり、十分に心の安らぎを得ることができた。
 4人は朝の3時から瞑想の修行に出席し、1日の5時間を瞑想にあて、マハリシの説教を熱心に聴き入った。インドのジョージ

 もっとも熱心だったジョージは…

 『マハリシは、僕たちの内なる心の貯え(神)に瞑想を通
 して、到達できることを教えてくれた』


 と語る。

 ビートルズは、ドラッグによっても得られなかった心の渇きと心の平安を、インドに…そして瞑想へと求めたのである。

 結局…リンゴは食事が合わないと言って11日間でインドを離れ、ポールは始めの予定通り1ヶ月間でインドを離れる。

 ジョンは、導師マハリシが女優ミア・ファローに対して行ったセクハラ疑惑に幻滅し4月12日にインドを離れる。後に発売される『ホワイト・アルバム』収録の「Sexy Sedie」は、ジョンがマハリシを皮肉って作った歌であるのは有名な話である。

 ジョージは、マハリシから離れたあとも、より戒律の厳しいインドのクリシュナ教に近づくなどし、インドの宗教や哲学への傾斜を強めていく。

インドで曲作り ビートルズのインド志向は、世界の若者の東洋志向、インド志向に大きな影響を与え、それは音楽だけにとどまらず、ファッション、文化、思考までにおよんでいた。
 ビートルズの活動は、すべてが世界中の若者の注目を浴びていたのである。

 このインド滞在中には、後に『ホワイト・アルバム』に収録されることとなる、たくさんの名曲が生まれている。
 瞑想|ばかりして、部屋に閉じこもってばかりのプルーデンス・ファローにインスピレーションを受けジョンが書いた「Dear Prudence」や、ポールの「I Will」などは、このインド滞在中に作られた名曲の1つである。


 アップルの設立

アップル設立の記者会見 ビートルズはエプスタインの死後、マネージメントをすべて自分たちでやると宣言した。

 そして彼らは、1968年4月22日にビートルズの会社アップル、正式には『アップル・コープス・リミテッド』の事務所をロンドンに設立し業務を開始した。
 5月14日に、ジョンとポールはニューヨークでアップル設立の記者会見を行う。
 ちなみに…アップル・ブティックは'67年12月5日に、すでに開店しており、オープニング・パーティでの乾杯の飲み物は「アップル・ジュース」であった(^^;

 アップルは、音楽出版、映画、芸術、ブティック、エレクトロニクスの部門を配下に加え、『才能があってもチャンスに恵まれない人々を世に出す』という構想の下に意気揚々と出発した。。。

Mary Hopkin 結局...成功したのはアップル・レコードだけだった。しかしそれも、ポールのプロデュースしたメリー・ポプキンを除いては、まったく商業的には成功しなかった。
 メリー・ポプキンについて少々説明すると…彼女は、イギリスのウェールズ地方出身で、子供の頃から歌好きの女性であった。
 テレビのオーディション番組「オポチュニティ・ノックス」に出場し、彼女は次々に勝ち抜いていく。彼女を見ていたツイギーが、ポールに電話し、ポールは彼女を気に入り、アップル・レーベルからデビューさせることにする。。。というまさに絵に書いたようなシンデレラ・ガールである。
 音楽面でポールが全面的にプロデュースし、デビュー曲「悲しき天使」は大ヒット。その後も順調に音楽活動を続けるが、アップルが破産し、しばらくすると音楽活動を辞めてしまう。ポールのプロデュースということもあり、どこともなくビートルズの…特にポールの雰囲気が、、彼女の楽曲には漂っている。

apple boutique アップル・ブティックにいたっては、開店後7ヶ月の’68年7月30日に閉鎖となり...店じまいの時には、ジョンの提唱により、店内にあるすべての商品を無料でプレゼントすることになり大混乱が生じた。

 アップルには、ビートルズによる、新人タレントやアーティスト募集の呼びかけに応じ、世界中から訳の分からない人間が大勢集まった。。。
 またその上、現実不可能と思われる計画が次々と立てられていった。。。

 結果的に、それなりの収益は上げていたが、それ以上にお金が湯水のように使われて出費が莫大に増えていき、ビートルズ自身も、会社の状態が掌握できなくなってしまった。。。

 ビートルズの夢見ていた壮大な計画は、最終的に大失敗に終わってしまうのであった。
 しかし、現在の音楽シーンに、しっかりと根付いている自主レーベルインディーズに通じる発想は、この時のビートルズから、すでに生まれてきていたのである。


    


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