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 1969 後半
 1970

 おわりに


 1月〜6月
シングル「PENNY LANE / STRAWBERRY FIELDS FOEVER」発売 (2/17)
アルバムSGT.PEPPRES LONELY HEARTS CLUB BAND』を発売 (6/1)

 イギリス・チャート1位を逃したシングル

ストロベリー・プロモ・ビデオ コンサート活動をやめ、それぞれバラバラの活動であった'66年の末、世間では「ビートルズの解散の話題」でもちきりであった。
 '66年11月24日新曲のレコーディングの為にアビー・ロード・スタジオに訪れた際のインタビューでは、完全に解散説を否定をしているのであるが。。。。

 この解散の噂でもちきりの中の'67年2月17日に発売された通算14枚目のシングル「PENNY LANE / STRAWBERRY FIELDS FOEVER」は、ビートルズが、イギリス・チャートで初めてNo.1の座を逃したシングル曲となってしまった。

 ビートルズは、それまでに出した「Please Please me」から「Yellow submarine」までのシングル13曲すべて、イギリスのチャート(『NME』紙)でNo.1を獲得していたのであるが。。。(このシングル以後の発売の曲もすべてNo.1を獲得している)

 ビートルズのトップをはぐんだ、エンゲルベルト・フンパーディングの「Release Me」は、どちらかと言えば、当時としてもちょっと古めかしい曲でありm(_ _)m。。。ビートルズの出したシングル盤の方が、はるかに優れた楽曲だということは、聴いたことがある方ならば感じることだと思う。。。

ペニー・レーン・プロモ・ビデオ 「PENNY LANE / STRAWBERRY FIELDS FOEVER」は、両A面という形で発売されており、お互いの曲がチャートを競い合い相殺しあったことも、1位の座を明け渡してしまったひとつの要因である。(ちなみに、アメリカのチャートではNo.1シングルの座に輝いている。)

 ある面において、このシングルは、ヒットを意識せずに音楽作りを始め、ロック・ミュージックを芸術の域にまで高めることになる彼らの、新たな出発になった1枚とも言える。

  この曲が1位を逃したことに、イギリスのマスコミは、こぞって「ビートルズはもう終わった」と書きたてた。。。しかし、その数ヶ月後に発売されるアルバムで、ビートルズをこき下ろしたマスコミは、ぎゃふんと言わされことになるのである。


 ロックの頂点を極める

SGT 当初、ビートルズは、「Penny Lane」と「Strawberry Fields Forever」の2曲を核にして、「4人の少年時代」をテーマにしたアルバムを作ろうと考えていたが、2曲をシングル曲としてリリースしたために、その構想は消えてしまった。
 代わりに、ポールとニール・アスピノールが、「ビートルズが架空のバンドに扮してショーを繰り広げる」というアイデアを出す。。。そして、この歴史的な初のコンセプトアルバムと呼ばれる・・・
SGT.PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND
が、1967年6月1日に発売された。

Sgt完成パーティ 収録3曲目の「Lucy in the Sky with Diamonds」は、頭文字をつながると「LSD」となり、ドラッグを連想させると言う意味でBBCラジオでは放送禁止に。。。また最終曲の「A Day in the Life」も歌詞がドラッグを連想させると言う理由で放送禁止に。。。これは、当時のビートルズの若者に対する影響力の大きさを表しているとも言える。
 最近の2003年1月にも、嫌煙団体が「ファンがすすんで真似をするから」という理由で、アルバム『Abbey Road』のジャケット写真を使ったポスターから、ポールの持っていたタバコを消すなど...現在でも彼らの影響力は衰えることを知らない。

 このアルバムは、英国『メロディー・メーカー』紙のアルバム部門で、初登場から22週間No.1の座(米ビルボードでは15週間連続)をキープ。。。。。また米国のグラミー賞では、「最優秀アルバム賞」「最優秀現代アルバム賞」「最優秀アルバム・カバー賞」「最優秀技術アルバム賞」の4部門を受賞した。
 アルバムは、全編まさに多重録音によるスタジオ・ワークの世界である。
 ビートルズは、このアルバムによって、音楽的にも、当時の若者のカルチャー全般においても一つの頂点を極めたと言える。


 愛こそはすべて

愛こそはすべて・スタジオ ’67年6月25日には、初の世界同時衛星中継番組『Our World』にイギリス代表として出演した。13ヶ国が制作に参加し、24ヶ国に同時中継されたこの番組は、世界中で4億人の人が見たと言われている。
 ちなみに日本からは、NHKが、生まれたばかりの赤ちゃんの映像を世界中に向けて発信した(^^)
 この番組に際し、ジョンとポールは1曲ずつ候補曲を持ちよった。ちなみに…ポールが持ち寄った候補曲は「Your Mother Should Know」であった。
 結局...ジョンにより作られた「All You Need is Love」が、この番組に使われることとなった。。。この選択は個人的にも大正解だったと思う(^^;。

愛こそはすべてプラカード 撮影場所は、ロンドン郊外のバーンズにあるオリンピック・スタジオで行われた。コーラス・ゲストとして、ミック・ジャガーキース・リチャーズエリック・クラプトンなど大物ミュージシャンや、「A Day in The Life」のレコーディングにも来ていたアーティストたちなど、たくさんのビートルズの友人のミュージシャンが参加している。
 また、The Whoのドラマーであるキース・ムーンがリンゴの横で、シンバルをブラシで叩いている。

 この番組で、ビートルズは、永久不変のメッセージと言える『愛こそはすべて』というメッセージを世界中に発信したのである。


    


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