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8.故郷リバプールでは大ブレーク
1961年
 ポールが、ベースギター担当に・・

 失意の中、ハンブルグから帰国したビートルズ…。ポールに至っては、ヤケになり、音楽をやめ、トラックの運転手になると真剣に思っていたそうである。

 しかし、ブライアン・ケリーのプロモートで、'60年12月27日に行なわれたリザーランドのタウン・ホール・ボール・ルームで行なわれたコンサートは大盛況。

 '61年2月9日、リバプール最大のクラブ、”キャバーン・クラブ”に初出演。以後レギュラーバンドとなる。
 ビートルズの人気は確実に上がっていった。
 ポールが「ロング・トール・サリー」を歌うと、ファンの興奮は絶頂にのぼりつめていた。

 4月1日には、再びハンブルグへと行き”トップ・テン”にも出演する。
 6月22日には、トニー・シェリダンの「マイ・ボニー」のレコーディング・セッションに参加。

 7月には、ベースギター担当だったスチュアートがバンドを脱退し、ドイツ人の恋人アストリット・キルヒヘアと、ハンブルグに残ることとなる。
 この時以降・・・ポールがベースギターを担当する事となる。

 人気は確実に上がっていったが・・・ビートルズの人気は、まだまだリバプールとハンブルグの限られた地域だけのもので、そこから一歩出れば、まだまだ無名のバンドであった。

  (ハンブルグに残ったスチュアートは'62年4月10日に脳挫傷の為死亡。享年21歳)


    


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